偏りから学んだこと。

前回の記事で、「歩くと決めたら雨予報なのに晴れた」とドヤっていた。
が、さっそく昨日の歩きは雨+強風だった。出かけるときは晴れかけてたのに…。
傘が差しづらかったので、濡れながら1キロほど歩いてすぐ帰った。帰ってきてしばらくしてから晴れ始めた。…人生そんなもんである。

さて、今日は3日目のウォーキングになる。明日の天気次第で「3日なんとか」になるかどうかが決まる。神よ。こうなったら神にすがるしかない。

今日も強風だったが、晴れていたのでどうにかなった。 河川敷で想定してたいちばん遠い距離、往復5キロくらい歩いた。
昨年の関西の台風を経験してから、強い風が少々恐く感じるようになった。
場所によっては、昨年のあの時折れたままじゃないかと思う倒木が、あちこち転がったままだった。
経験は必ずしもいいことだけを教えるわけじゃない。が、負の経験を通じて、それを乗り越える考えを生むのも、教えのひとつではないかと思った。

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私は基本的に、家でじっとしたままできることが好きだな、というところに最近は着地した。
しかし1日のほとんどがそれだと、身体がなまる、固まる、痛くなる。ジジババくさい発言だけど事実w こうなると好きなことすら、ツラくなってくる。ということが分かった。
偏りって個性。なんだけど、偏りを支えるのは、目に見えない部分にある、生活のバランスなんだなと。大きな創作をする人にとっては、ときに無心な単純作業の時間も必要だったりする。それみたいなもんだ。

家事も好運動も好きではなかった。けど、じっとしたままできるような好きなことばかりやってると、家事がむしろ心地のよい気分転換になる。本ばかり読むのも好きだったが、本がアタマに入ってくるのは、むしろ身体を動かした後だ。

何も考えず動け動け、と言うだけの根性論は好きではないが、動と静、1日にはどちらもちょうど半々あった方がゴキゲンに過ごせる。ということが、偏ってみて分かった。自分にとっての偏りのない部分はどこかを日々、さぐっていくのが楽しい。

バランスと言い始めると、すべてがそれ一言で済んでしまうかのように見える。極端なノウハウがばからしくなる。が、それでいいと思う。そっから出て初めて、自分の道が形作られていくんじゃないかな。

Photo by Giulia Bertelli on Unsplash

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