カウンセリングやコーチングなどの心理的セッションを受けたり提供したことのある方なら、分かるかもしれませんが。セッションを提供する側って、前提として「どんな生き方もあり」っていうベースをもって人と接すると思うんですよね。
(その上で、もちろん「私は個人的にこれが正しいと思う」って意見は、誰しももってると思うんですが)
ですが、あまりにも枷が外れて「なんでもあり」になり過ぎてしまうと、逆に生きる意味を見失ってしまう人もいるんですよね。
これまでは、
言われたことを正しく、真面目に努力してきた。
↓
でもそれで限界がきた。
↓
「どんな生き方もあり」という考え方を得て
自分は実は我慢してきたことを知った。
↓
これからは自由に生きるぞ!と心に決める。
↓
んで…何する???
というところでつまづいて、
糸の切れた凧のようにふわふわ~っと地に足が着かなくなる。
(私も経験しました)
「なんでもいい」ってことは、逆にいうと、何をするかを自分で逐一、考えなきゃいけませんから。けっこう大変っちゃ大変なのです。んで、そのままじゃやっぱり不安だから結局「誰か」に言われた通りに生きてしまう、ということってあるんじゃないでしょうか。
まぁ、それはそれで、最初の生き方とは質が違うんでいいんでしょうけど。問題は、その「誰か」も常に変化している、ということなんですよね。当初言ってたことと話が違うかもしれない。言われた通りに生きてたら、その相手の方向性が変わってしまって、ついていけなくなった、とか。
自分が言うことを聞けるうちはいいんですが、聞けなくなったときにまた別の人に鞍替え。そしてまた、鞍替え…。
とだけやっていて、いつのまにかたどり着いた場所がやっぱり不満だった、なんてこともあり得ます。
こういったことにならないために、一度試していただきたいのが
「言葉の再定義」
ってことです。
…とだけ言うと堅苦しいですが、つまりこれは
“言葉の意味を自由に勝手に決めてみようぜ”
ということですね。
「一般的な辞書などの意味はこうだけど、私的にはこういう意味としてとらえたいな」という感じでOKです。
例は後でだしますが、これをやると、自分は結局どう生きたいのかが分かって、分かれ道にきたときに決めやすくなるんですね。
たとえば、
さっき 糸の切れた凧のようにふわふわ~っと地に足が着かなくなる人の話をしました。この場合、「自由に生きるぞ!」って言っても、その「自由」が自分にとってどういうことだか分からずにいたから、いざ何かしようとしても、不安になって実現できなかったんですよね。
まず、自分にこんな感じで問いかけてみます。
●どんなときに自由じゃないって感じる?
「自由」の反対を考えることで
「自由」の意味をハッキリさせていきます。
そして、
●それを「自由/不自由」って思うのはなぜ?
という理由もセットで。
友達と一緒に過ごすことが自由だと感じる人は多いと思います。ところが、友達といることは自由な感じがするけど、ワガママ聞いてくれない人だと不自由だと思う人もいるでしょう。友達と約束をして会う時間じたい、時間の拘束があるから不自由だから、一人がいいと思うかもしれません。
二世帯住宅が不自由だと思う人もいれば、両親に子守り任せて出歩けるので
自由だという人もいるかもしれません。実家の宗教の行事があって不自由だと思う人もいれば、信じるものがあるからこそ、自由に生きてけるって人もいるはずです。
同じ言葉でも、人によって思い浮かべるシチュエーションはこれだけ違うんですよね。(そらぁ、コミュニケーションの行き違いもあって当然…涙)
ここで、自分で言葉を再定義できていると、人に流されにくくなります。いざ好きなものを選んでいい、ってことになったときに、自分の選ぶ基準が明確だから、準備万端で「待ってました!」と選ぶことができる。そしてその先につながる環境や人間関係も「自分が選んだのだから」と、想定外のことがあっても主体的に楽しむことができます。
ちなみに私の「自由」の定義は
・本当に思ったことを言っても壊れない人間関係
・常に成長し、たり昨日と違うことをやり初めてもいい環境
・価値観の違いを尊重できる場
って感じでしょうか。
私自身、今のパートナーはかなり深いところで価値観を分かち合い、人生観レベルでのコミュニケーションができていますが。それも実は、「パートナーとどう生きていきたいか」をじっくりと再定義したからからなんですね。(言葉にしてからは、出逢うの早かったです)
定義するってことは、いらないことを明確にすることですね。けっきょくはそうやって言葉の意味を選んで、自分なりに選択肢を狭めていくことが自由への近道だと思うんですね。逆接的ですけど。