欠けているからこそ、次に繋がるエネルギーが生まれるのだと。

今朝、近所の美味しいパン屋さんの食パンを食べた。そして、美味しいコーヒー屋さんのコーヒーを飲んだ。ああ、満たされた。幸せ。と思ってしばし心が完結していた。 心と身体は、今まさに必要なものをドンピシャで与えられると完結する…

続きを読む →

たとえ話:クッキーをつくる人達。

仮に、この世界において人間の目的が、クッキーをつくることだとしよう。めちゃくちゃ粗いなおいw あくまでたとえ話だ。 人は最初、与えられたクッキー生地を、与えられたクッキー型を使って型抜きしていく。慣れるまでひとつひとつ、…

続きを読む →

「自由になりたい」という理想は、もういらないのかもしれない。

今日、ふと思った。 「自由になりたい」という言葉はもう違うな、ということ。 気がつけば、自分で望まずに何かを強いられていると思うことが、限りなくないに等しくなった。実際に多少の時間拘束なり、お付き合い的ななにかは、あるに…

続きを読む →

ここちいい波長を、空間からつかまえる。

ヨガを毎日やっていると、身体がカチカチに固くってポーズがつらい時がある。そういう時は、ポーズの完成度を高めるのをいったん、あきらめる。そして、ポーズを取る前の前のもっと手前に戻って、そこをゆっくりとやり始めるようにする。…

続きを読む →

集団ルールからマイルールへ。

人生のはじめのころは、とにかく集団や集団行動が苦手だった。みんながつながっている「暗黙の了解」、いまでいう「空気」みたいなもんが分からなくて動けなかったり。同調圧力に自分がつぶされているような気がして息苦しかったりした。…

続きを読む →

自分の砦を持つ。

あらたな場所を訪れるのは、たのしみである。と同時に、たとえ遊びでも、少しの不安がある。あたらしい地域、あたらしい職場、あたらしい趣味サークル、別の家庭など。 なぜ、楽しみであり、不安なんだろう。 それは、これまで出逢った…

続きを読む →

「身につく」ってどういうプロセスをたどるんだろう。

  先日、初のダンスの発表会を無事終えた。 発表会のそもそもの主旨は、レッスン生同士の披露の会、という内輪のものだったから参加できたのだが。 私個人においては、それっぽい恰好をして「止まらずに」踊るのでいっぱい…

続きを読む →