集団ルールからマイルールへ。

人生のはじめのころは、とにかく集団や集団行動が苦手だった。みんながつながっている「暗黙の了解」、いまでいう「空気」みたいなもんが分からなくて動けなかったり。同調圧力に自分がつぶされているような気がして息苦しかったりした。…

続きを読む →

自分の砦を持つ。

あらたな場所を訪れるのは、たのしみである。と同時に、たとえ遊びでも、少しの不安がある。あたらしい地域、あたらしい職場、あたらしい趣味サークル、別の家庭など。 なぜ、楽しみであり、不安なんだろう。 それは、これまで出逢った…

続きを読む →

毎瞬毎瞬、自分自身に気づき続けること。

前々回、こういう記事を書いた。 ⇒ 価値観ランキング3位以降の重要性。 ところで、と今さら書いてみるが、価値観をランクづけしたことはあるだろうか。 どの順位が上とかはさほど問題ではなく、ぼんやりとでもいい。今の私にとって…

続きを読む →

“現実”世界と“空想”世界。密度の違いで次元ボケする人。

前回記事 ⇒ “現実味”のないせかいの、言葉。 のように、自分の体験する世界を“現実”と“空想”に分けるとする(あくまで私の「仮」定義です)。この2つは、見た目では分からないが質がまったく違う。   “現実”と…

続きを読む →

“現実味”のないせかいの、言葉。

今月に入ってからの記事は、今までにも増して現実味がうすれてるんじゃないか。 と、自分では思っている。現実味ってなんだ、その、いわゆるセケンに通じるかどうか、とかそういうやつだ。 もうそういう話しかできない。そういう話にし…

続きを読む →

自分を全開にしない、という自己表現。

2年ほど前まで、アメブロでブログを書いていた。2010年から6年間くらい、ブログを作り直しながらも書き続けていたんだけど…。ある時から違和感が出始めて、スムーズに書けなくなっていた。その時期から、このブログに移動してきた…

続きを読む →

代弁されてスッキリしてる場合じゃないわ。

ネット上のリアクションに対して、もうひとつ記事を書いてみる。 なにがしかのオピニオンリーダー的な人が、日ごろ疑問に思ってきたことを満を持して発信したりするよね(以前から姿勢として小出しにしてることもあるけど)。時折、これ…

続きを読む →

不器用でもまっすぐ表現することで、心打たれる人が必ずいる。

前回記事の続きです。 前回はこちらから読んでみてください。 ⇒ 文章から伝わるのは、いわゆる現世的な「情報」だけではない。   で、他人が描く「見えない世界」を、言葉でもって代弁し始めたときに、悩んだもうひとつ…

続きを読む →

文章から伝わるのは、いわゆる現世的な「情報」だけではない。

前回記事の続きを書こうとして…それよりも、ついさっき思い出したことがあったので優先してみる。 ブログを休む前、だいたい1~3年前くらいの間、私はブログの書き方指南的な文章をよく書いていた。元々、ファッション系のサービスで…

続きを読む →

「シゴト」しかしないのはサボりである?

私的に、これからは「シゴト」というものの概念が大きく変わるんじゃないかと感じていて。と言っても昨日ひらめいたことなんだけども。 ものすごく私的な感覚で言えば、これからの「シゴト」に対する概念は ◆「シゴト」しかしないのは…

続きを読む →