問い続けることが、何よりの価値を生む。

先日、古本屋に行ったとき、1つの本が目に留まった。

『ソフィーの世界』。

たしか高校生くらいのときに世界的に人気が出て気に入ってた本。いちどは手離したけどまた出逢えた…!状態もいい。その時は別の目的があっていそぎだったので、帰り道にまた寄ってすぐに買って帰った。

Wikipediaからの抜粋。

『ソフィーの世界』(ノルウェー語:Sofies verden, 英語:Sophie’s World)は、ノルウェーの高校の哲学教師ヨースタイン・ゴルデルによって1991年に出版されたファンタジー小説。少年少女に哲学への手ほどきとして読んでもらうよう構想された作品で、世界各国語に翻訳され、全世界で約2300万部以上を売り上げたベストセラーとなった。
(中略)
大変優れた哲学史の入門書で、難しく構えることなく西洋の哲学について触れることのできる秀逸な作品であると評価される。 物語の進行は哲学の歴史にそっており、ソクラテス以前の哲学者からヘーゲル、ダーウィンやフロイトまで、著名な哲学者や影響のあった思想が登場する。主人公の名は哲学(フィロソフィー)という単語にちなんで名付けられている。また智慧の神格化であるソフィアの意味もある。

高校時代、当時のおこづかいとしては高い本だったけど買って、世界観にわくわくし、酔いしれて。でも途中で意味がわかんなくて、後半は記憶がおぼろげだった本。大人になった今、どんな風に味わえるだろう。と楽しみにページをめくったら…。

5日くらいで読み切れた…!667ページ。
ちなみに、ぶ厚い本を読破するのは気持ちよくて、小学生の頃から大好き。たしかに途中、つかみにくい抽象概念なんかはありましたが、つぎの展開がミステリアスで夢中になれた。そして、おとなになってからの空想経験(笑)からなんとなくイメージできて、乗り越えられた気がする。

ちなみに、この本の主人公の少女(2人いる)は誕生日まぢかで、そのことについて何度も触れられており、現実の私自身もちょうど本に出逢う3日前に誕生日だった。なんでもかんでもシンクロ、という人には、それ思い込みすぎやろーとツッコミたくなるんだけど。今回のこれはちょっと偶然じゃないな、というワクワク感もセットになった。

 

この本の最初に、主人公に突きつけられる問い。

「あなたはだれ?」
「世界はどこからきた?」

この本では、この問いを探究しつづけてきた、歴代の哲学者たちが紹介されていく。哲学者によって、この問いへの答えは違う。ときには宗教がからみ、ときには芸術がからみ、科学や政治との関連もしめされながらどんどんと豊かに、複雑になっていく答え。

でも、周知の通り、このシンプルな問いへの明解な答えは現代も、ない。あるのは、「それぞれの人にとってはコレ」「この業界にとっては今のところコレ」「この学会ではここまで分かっている」ということ。

もしこの世に正解があるとしたら、そしてその正解に針の穴ほどの距離まで近づけたとしたら。それでも最後の最後は、いま生きている人間には、分からないようになっているんじゃないか。という感じがした。

私自身は、答えが欲しい人だった。ずっとずっと、ずーっと。そして、最初にこの本を手に取った高校時代、哲学というものにも興味を持ったけど、「答えがない」という状況は理解ができなかったと思う。それくらい正解を探して生きてきた。自分は正しい方向に向かっていると信じたかった。答えは自分で出せや、と言われると少し怖くなった。

 

でもね、そこから25年?26年?少しは大人になったのか。

答えがお膳立てされていて、それに向かっていく、ということがつまんなくなった。もちろん、各所にいる「答えをくれそうな人」をあちこち探しまわって教わった結果なんだけど…。答えらしきものは、もらったらそれで終わりだった。その先はそれを正解として生きる、同じことの繰り返し。

生きていることが、その瞬間から、「生モノ(なまもの)」じゃなくなるんだ。そのあとに新しい経験をして、まったく違うことを感じたとしたら、過去に得た正解が正解じゃなくなっちゃう。その色あせ具合といったらハンパなかったw 極彩色が一気にグレーになり、ときにはウンコ色になる。それも実は自分が勝手に色づけているものだった。

 

この本『ソフィーの世界』にも、時折出てくる。「問い続けることがだいじ」「あきらめないのが哲学者」といったメッセージ。たとえ、この本に出てきた歴代の哲学者たちが出した答えをそっくり知ったとしても、それは自分の内から出てきた問いに答えたことにはならない。なんせ、哲学者の本をまともに読もうったって難しくて無理。
それに、今を生きる、この場所を生きる自分がどう考え、感じ、経験し、信じたかはまた別かもしれないから。

自分の見地が、人類が出してきたそのときどきの「正解」により近いのかは分からない。どこまで練られたものかもわからない。でもそれを、カタチにしていくことはできるなって。その深めていく作業がその人の存在を美しく豊かにしていくんじゃないかと、思った。

 

学校で学んだことは社会に行ったら役に立たないよね、という言葉がある。
ここで言う「役に立つ」は、分かりやすく言うとお金がもらえたり、異性に好かれたり人間関係がスムーズにいくみたいなことだろうけど。

そのまったく真逆のベクトルがあると思う。
それが「自分という存在を通じて世界を知る」ということ。そしてそれこそがその人にしか出せない世界観。これは上で言った、社会的な「役に立つ」とは全然違うことかもしれない。
でもこれがないと究極、ただ毎日を「回していく」機械になるんじゃないかな。食べていくのに困らないだけでよかったら、古代から信仰を求める人はいなかったはずだ。そして本当の本当は、

「あなたはだれ?」
「世界はどこからきた?」

を知りたいと思わない人なんていない。ただ忘れているだけだ。

私も、この問いは大好物なはずだ。でも、日中の大半は忘れているのかもしれない。答えのなさに絶望的になることもある。でも、ときおり「これかもしれない」と手ごたえらしきものを掴んだときはとてもスッキリとしてすがすがしい気持ちになる。こうやって言葉も湧いてくる。

私は食べることもただ寝て起きる平凡な毎日も、とても楽しくて大事だと思っている。でも、究極求めているこの問いを忘れずにいたいな。そんなのなかったことにして、死ぬまで生きるなんてのはちょっと遠慮したいところだ。

今読んでも、そういう新鮮な気持ちを取り戻させてくれる本だった。

この本には、ほかにもたくさんインスピレーションを刺激されそうだ。


ソフィーの世界 哲学者からの不思議な手紙

 

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