代弁されてスッキリしてる場合じゃないわ。

ネット上のリアクションに対して、もうひとつ記事を書いてみる。

なにがしかのオピニオンリーダー的な人が、日ごろ疑問に思ってきたことを満を持して発信したりするよね(以前から姿勢として小出しにしてることもあるけど)。時折、これが私の思う結論だー!バーン!って見えるような発信があると、その周りのリアクションがどうなっているかが見もの。

こないだ見かけたコメントが、こういう感じだった。

「私も実は同じようなこと思ってたんです。センセイに言ってもらえてスッキリしました!」

って「ええぇええ??」。オピニオンリーダーが言ったことでなぜお主がスッキリしとる?という違和感がぬぐえなかった。とはいえ、こういうやり取りは別に目新しいものではなく、ぶっちゃけ系の投稿にはしょっちゅう見られるんだわ。

あくまでその「スッキリ結論」は、ゼッタイの正義なんかじゃない。
発信者があれこれ研究したり、経験値を通じて「やっぱり違うんじゃないか」「やっぱりこうだと思うなあ」とモヤモヤをくぐり抜けて、ようやくおぼろげながら手にしたもの。モヤモヤするような曖昧なテーマだからこそ、周りはその結論に関心を持つわけじゃん。それくらい不確かな結論だ。
だから、その結論には自分自身でたどりつかなきゃいけない。そうじゃなきゃただの盲信だ。

こうやって誰かに代弁してもらって盲信するクセがあると、その盲信した相手にたいしても、そのうちモヤモヤしだすでしょ。だって自分で確信もってたどりついた結論じゃないから。で、そのモヤモヤをまた別の人に代弁してもらってスッキリする、を繰り返す。そこには何も残らない。

 

身近な例でたとえるなら…友達に恋愛相談をしていて、

「アンタ、その男ひどいんだから別れちゃいなよ!」

と人に言われてスッキリする。という感覚。好きかどうか、一緒にいたいかどうかという感覚が人だのみ。だから次の人も、本当に好きなのかどうか自分では分からない。

・好きだけど合わなかった
・選ぶ人ホントに間違えていた
・一緒にいてさみしさまぎらわしたいだけだ

でもなんでもいい。痛みを自分で受け止めて初めて、その選択が「自分にとって」正しかったかどうかが分かる。好きだけど別れたい、その理不尽さが出す意味は、身体の芯を通らないとホントウに分からない。

 

オピニオンリーダーに代弁してもらっては、その意見を持つことの潔さも痛みもなにも伴わないよね。だからなにも残らないんだ。

 

じゃあ、誰かに代弁してもらったようなこのスッキリ感はどう説明する??

 

思うに、それは自分のホンネの片鱗に触れた、そのキッカケなんだと思うんだわ。「ああ、たしかに私はあの意見に違和感を感じていた」。これに気づいただけでも、そのオピニオンリーダーの存在は意味があったのではないか。

でもその違和感の正体は、自分なりに自分で突き止めなきゃ、というのが健全だと、私は思っている。本当の真実など、どこにもないのだから。

 

そう、そしてこれ↑はあくまで私の結論。この記事に代弁してもらって、スッキリ結論づけることのないように…。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です