三年寝太郎

「ゆっくり~」を日々意識した結果、必要ない失敗につまづくことが減った。そして、徐々にたくさんのことができるようになった。

これにはもうひとつの行動指針が関係してくる。

結婚してからは、なるべく本当にやりたいと思ったことをやろうという方針を取り始めた。

「本当にやりたいこと」つーても、人生の目的とかそういう大それたことじゃない。

たとえば、皿洗いひとつとっても、その行動をひらめいたときの気持ちに「やらなきゃ」が勝っていたらやらない。逆に「やってもいいか」「やろう」「やりたい」のいずれかくらいに本当に思えたら、そのときはじめてやる。

また、方針とはいっても、無理してやろうとしたみたいな話じゃない。

これまで、人生を急いて急いて急いて急いて…どこにも行けなかったという感覚が溜まり、それしかできなくなっていたからやった。という方がただしい。

厳密には「どこにも行けなかった」というとウソだけど、急ぐことに割いたエネルギーに見合う収穫じゃなかったという感覚だ。割に合わない結果を求めすぎて、燃え尽きた感覚。

ひとつひとつ説明してたら長くなるので、先に進もう。

なるべく本当にやりたいこと=やることを近づける、という方針を取り始めた結果、私の結婚初年度は「三年寝太郎」状態だった。つまり、ほとんど何もしていないという感覚に襲われた。

またこれも説明しだすと、親戚筋へのあいさつや、旦那くんの実家に行くなどなんらかのことをしていたのだが…。1日のルーティンは明らかに減った。これまで意図的に「行動・行動・こうどう・こうどおおぉううううぅぅぅぅ…!!」と鼻息荒くやっていた時を思うと、スケジュールの数は1/10にも満たなかった。

身体を動かそうという気にあまりなれないからほぼ1日寝ている。が、これまでの十数年、ずっと動いていたから、昼間に寝ている状態の自分に違和感があった。たとえるなら、車で悪路を走った後、その振動がいつまでも身体に残って、降りたあとも、あたかも自分が震えているような感覚が残るように。そんなふうに、数か月の間は、寝ていてもベッドごとトロッコのように身体が前に進んでいるような不快な感覚が続いた。どこか行かなければいけない場所が、約束があるような気が、常に残っていた。

それでも、せめて「行ってやってもいいか」、くらいに思えない予定はぜんぶ辞めた。イベントも行く気になれなかった。そうするとスケジュール帳は真っ白になった。

これを言うのは、冷たく思われそうではばかられたけど、ホント友達いなくなった。いや実際は、なんらかでいるのかもしらんし、作ろうと思えばすぐにできるのだが。それ以前に友達という定義や存在の有無がもはやどうでもよくなった。好きとか嫌いとか、そういうのを表明し確認し合うために日時を割くのは、自分にゆとりができてからの話なのだと、トコトン分かった。

そしてその結果、実はやりたいことなど、ほとんど残らなかった。

つまり、私はこれまでの過去、急ぐことでエネルギーの貯金を未来に渡ってまで使い果たしていたのだ。

ということを、後になって実感として知った。

病気とかじゃない。病気やケガが、RPGゲームでいうHPの枯渇なのだとしたら、いわばMPが減っている状態とでもいうか(うまくたとえられたのかは謎だ)。身体はいちおう動かせるのに、その原動力となるエネルギーが枯渇して、ほとんどない状態だ。

だから未来の貯金を借りた分を、その時は返すべく三年寝太郎だったわけだ。そういう感じだった。

なぜそう実感したかというと、これを書いている今現在は、それほど寝太郎な必要がないからだ(長寝は好きだが)。つまり、ちゃんと休めばいつかは借りを返し終わるのだ。

返し終わらないまでも、徐々に、1日に1つの用事ならこなせるようになる。そして家事もできることが1つ増える。さらに数か月したらまた1つ増える。

そして、いつかはエネルギーを返し終わる。まだ今も100%ではないかもしれないが、ある程度はチャージされた。さてそこからが本番だ。

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