人を「Aタイプ」「Bタイプ」に当てはめることは果たして善なのか。

前回の

⇒そろそろ「人間ってそういうものだよね」思想の外に出たい。

という話の続き。

 

「人間ってそういうものだよね」という思想の例をいくつか挙げた。その中のひとつ、

・人間って、枠に当てはめると安心するよね

これが長いこと引っかかってた。なぜなら、「枠に当てはめる」ということをけっこう自分のサービスの主軸にしていたからだ。

安心すること自体は悪いことではない。でもそれを目的にしてしまうと、答えを得た!という気になってしまう。そしてそこから抜け出せなくなる。成長が最初の時点ですでに止まってしまう。「人間ってそういうものだよね」理論をベースにすると(笑)、「人間はいちど安心した思想を手放したがらない」からだ。

たとえば、パーソナルカラー診断。
あなたの似合う色は●●タイプですよ。と伝えるサービスだ。その「Aタイプ」「Bタイプ」という枠に当てはめることが一旦は目的になる。その方が自信のない人でも最初の段階で安心が得られるからだ。提供する側にもメリットがある。伝えることがほぼ決まっているから会得、伝達、拡散しやすい。

でもこの「枠に当てはめること」は、(あくまで)一旦の目的に過ぎず、その先の「オシャレになる」「センスがよくなる」「人生が充実する」という部分に本来の着地点がある。見せたい景色がある。楽しさと歓びがある。そのはずだ。

ただ、それが先に「安心」を目的地にしてしまった受け手側の人に伝わるのか。「安心」の先にまだ見ぬ、さらなる歓びの地点があることを、想像できるのか。それを求めてくれるのか。私の経験からすると、NOに寄る可能性の方が高かった。私自身がもちろん伝達者として未熟だから、その上の景色を見せられないというのもひとつたしかにある。ただ、これは私のサービスを受けた人に限らず散見されることだった。

そもそも受け手は、枠に当てはめられることを目的としてしまった人だ。つまり、安心という結果をプロセスを経る前に得てしまった人。仮にその枠から出ても、また別の枠を探しに行くことが圧倒的に多い。そして、その枠が納得いかなければ、本当の正解はどこにあるのだろうと放浪の旅に出てしまう人も少なからずいる。

そういうタイプの人が結果的にセンスが上がってることが多いように見えればいいのだけど…私の目からは、そうだとは見えないのが実情だった。私は服装については長らく、伝える側だったからマシかもしれない…。ただ、それ以外のセンスのないジャンルになると、私自身放浪の旅に出がちな人だった。だからよくわかる。

***

枠に当てはめることは、先に答えを教えること。教える人にとっては、スピーディで親切のつもり。
でも本当はよくないかもしれない。なぜならその親切心は、「人間ってそういうものだよね」というあきらめの上に成り立っているからだ。そう思い始めた。
実際、スピーディに伝えたつもりのことは、教えている方も瞬時に歓びらしきものが得られる分、その充実感はすぐに冷める。本当の歓びは、紆余曲折のプロセスを進むことでじわじわと無限に湧いてくるものなのだ。

そのことに(ようやっと)気づいてから、自分がやることについてはプロセスをなるべく省かなくなった。時間がかかることを時間がかかるなりにするようになった。理解している人からすると、実に当たり前すぎて当たり前のことを、やるようになっただけかもしれない。

ところがそれをやるようになってまた、本来の情熱が戻ってきた。身体の中心が熱くなり、魂の底からじわりじわりと、充実感が湧き出てくるようになった。「人間って所詮、コツコツやれないもんだよね」という思想はそこには存在しなかった。もちろん、すべてはインスタントには叶わない。だからこそ、インスタントではとうてい敵わない歓びたりうることが体感をもって分かったのだ。

そうやってえっちらおっちら歩いていると、いつの間にか「人間ってそういうものだよね」思想の外に出て、新たな可能性を見つけているものだ。これ、気合やポジティブシンキングとは、まったく違った次元のお話。

 

そろそろ面倒くさいことをやろうぜ。

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