個性は即席ではつくれない。

旦那君と音楽について話していて、
「一聴しただけで、その人がどのアーティストに影響を受けたかバレバレなのはカッコ悪いよね」みたいな話をよくする。
しかも、そのアーティストが今まさに流行りのど真ん中だったりすると、オマージュにもならず、きわどい場合はパクりともとられかねない。なぜなら最近できた音楽だから、その人の音楽を咀嚼する時間が圧倒的にないからだ。というのが私たちの感想。

 

この感覚は、別にアーティストだけに限らず、個人で活動や表現をするならどんなジャンルにも当てはまるんじゃないかと思っている。

これは私自身の反省でもあるんだけど、時短で身についたものには、大きな落とし物があるような気がしている。
その得した時間、いや以上の時間をもって熟成されなおさないと、とりもどせないもの。それが「自分から」滲み出る個性なんじゃないかと。

 

じつは「個性っぽいもの」は即席でもつくれてしまう。ハタチそこそこのときに、ちょっと奇抜なカッコしようと思えばすぐにできてしまうし、あちこちピアスあけたり、人のしていないヘアカラーやタトゥをすると、すぐにそれっぽくなる。実際私もそういう類のことはしていたw

でもそれは、時代が流れるとすぐに陳腐化したり、年をとるとみぐるみ剥がされたようにダサくなる。賞味期限が近いんだ。

いっぽう、いっけん地味であっても、自分の個性や魅力と向き合い、コツコツとスタイルを作り続けてきた人には、即席ではつくれない深い味のある個性が湧いてくる。

 

カワイイはつくれるかもしれないが、個性は即席ではつくれない。

よく言われるように、「個性はあなたの中に【すでに】存在している」という側面もある。あるけど。それが伝わるにはなんらかの表現手段がいる。そしてその表現手段をつかうには経験もいる。そして、技術も知識も強みも才能もそう。気づいたからといってすぐに伸びるのは、やっぱり熟成させてきた人だ。

 

そういうことをアタマの片隅に置きながらも、ほんとうの意味ではぜーんぜん理解してなかったし、ほんとはしたくもなかった。今のちっぽけな自分が即席でレベルアップできるならぜひしたいと思い、辛抱は楽しみじゃなく、痛みだとばかり思っていた。

そんなわけで、私自身も即席で身につけようとしたことは数限りなくある。でも、なんか違う、なんか違うとカラダがさけんでいた。接ぎ木したような違和感とぎこちなさ。それは「もう一度、自分なりにその道を生き直せ」という魂からのメッセージだった。

 

ここで冒頭にもう一度戻ると。

「一聴しただけで、その人がどのアーティストに影響を受けたかバレバレなのはカッコ悪いよね」

つまり、さっき見聞きしたことをさも知ったふうに横流しすること。さっきとは言わないまでも、熟成期間もなく身についたようにふるまうこと。これ実は、社会で人のニーズを基準に動いている人にとっては、めちゃめちゃ要求されまくることだったりするんだけども(苦笑)。

そのスタンスのまま評価されたからといって、自分なりに咀嚼もせずにずっと進むと、いつかそのリソースは底をついてしまうということを知っている必要がある。そしてまた、即席で何かを仕入れなくてはならない。

 

これを痛いほど感じたから、過去のこういう記事のような感想にもなった。
⇒そろそろ面倒くさいことをやろうぜ。
ええ、ようやく。40手前くらいでほんとうにようやく。

でもこのスタンスに腹がくくれると、時間のかかることやなかなか理解しえないことが、逆にめちゃくちゃ面白いと思えてくるから不思議だ。

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