時々、人生が停滞しているなって感じることがありました。
特段、喫緊の課題を抱えておらず、時間はある。
かといって、大きな目標に向かって頑張っているわけでもない。
目標と思って燃えられることが見つからない。
その上で、なんか「コレジャナイ感」がつきまとってモヤモヤするとき。
こういうとき、このモヤモヤを「贅沢な悩み」って表現するのかもしれません。
大きい不足を感じているわけでもないから、それを焦って穴埋めする必要がない。
でも、ちょっとした不足や不便は足元に転がっている感じ。
カラダが、ココロがしっくりきていない感じ。
そういう「贅沢な悩み」こそ実は、しっかりと目を向け気を向け、解消していくことで、停滞感も解消されていくんだと思います。
なんとなくモヤモヤするとき、一見、いい打ち手として、「大きく行動すること」っていうのがあります。
新しい習い事を始めたり、大きな買い物をしてみたり、気合を入れてレベルの高い勉強をしてみたり、海外旅行に出かけたり、と。
大きな行動であればあるほど、その大きさが些末な悩みをおおいかくして、霧を晴らしてくれるような気がしてしまうんですよね。
行動が上位互換、悩みは下位互換みたいな。
でも、実際それはまったく別のもの。
その行動がかならずしもそのモヤモヤとした、「贅沢な悩み」の穴埋めにフィットしているとは限らないんです。
「贅沢な悩み」である以上、いますぐ解決する必要はなかったりします。
一日あと30分、静かに読書する時間がほしい、とか。
あと5分、知人の愚痴を聞かされる時間を減らしたい、とか。
肌のお手入れをもうちょっとだけ、丁寧にやりたい、とか。
たまには一人でコンビニ食だけ食べてグダグダしたい、とか。
なんの目的もないウィンドウショッピング、最近できてないな、とか。
でも、それ以外のことは不満ないし、それ以外はそれなりに恵まれているし、けっこう多分いい感じだし、まあ悪くないからまぁ、まぁ、まぁ…いっか。
その「いっか」の積み重ねが人生停滞の理由だったり、します。
それは上位互換ぽい行動をしても埋まらない。進まない。
それをそのまま、ちゃんと気づいて解消していくしかない。
「そんな程度のこと?」これが、人生に血色を取り戻し、展開を進ませるな、といつも思います。
「そんな程度のこと?」これが、実はその人にとってはちょっと勇気のいることだったりも、するんです。
場合によっては、海外に行くことよりも一人でコンビニ食だけ食べてグダグダすることの方が、勇気がいるかもしれません。
それが本心からの望みであればあるほど…。
そのハードルが低ければ低いほど…。
とくに理由がないからこそ…。
だから、気づかないうちにハードルが上がってるし、
後回し後回しになってしまう。
「贅沢な悩み」。
解消をするほど、個人的には、細胞がすみずみまで喜んでいる実感がある。
そして、積み重なっている実感が感じられます。
日常のプチ奇跡なんかも起こりやすくなってきます。
やっていくと、大きな行動もいつのまにか起こってきそうな気がしている。
コレは今、実験中です。