問題の大半は感情の重さ

地位も実績もないけど、毎日心軽やかに過ごしてます。

問題が起こったときって、解決するためにその「事象そのもの」を扱うことって多いと思うんですよね。そして社会的に、それは正解だと思います。

・仕事ができなくて怒られるなら、その仕事をできるようになる。

・身近な人とウマが合わないなら、コミュニケーションの取り方を変える。

などなど、事象そのものを扱って解決するのであれば、その段階はぜひ頑張りたいところ。

ただ、そうやっても事態が変わらない、とか、その解決法がいつまでも上手にならない、ということであれば、アプローチを変える必要があると思っています。

問題が問題であり続けるときって、その手前にもっと根っことなるものがあります。

そのことを考えると湧いてくるもの。感情です。
たいてい、その感情は一度たりとも味わいたくないくらいに重かったり、心が空っぽに感じたり、高いところから落ちていくようなうすら怖さを感じたり、します。

ちなみに、その問題と同じ事象が今後もあり続けても、なんの感情も感じないなら、たぶんそれはもうその人にとっては問題ではありません。ちなみに、自分が問題と感じている同じような環境にいるにも関わらず、腹立つほどケロっとしている人、周りにいませんか?何も感じないのってどうなのよ?とは思いますが。それでも、時々「あんなノー天気になれたらな」と羨ましくなる存在。それって、あなたが思っている「問題」がその人にとっては「問題じゃない」んですよね。
問題にまつわる重たさや痛みがあることによって、人は同じ課題から逃げられず、向き合わされ続けます。ああ、書いていて我ながらなんと、重い内容なのか。

でも、もともと何も感じないのと、感じるのにそこをクリアできたのとではその後の人生のクオリティが違う。単なるノー天気になることのススメじゃなく、一歩前進することを提案したいです。そして、この感情への対処の仕方を覚えたら、似たことの繰り返しは確実に、確実に減っていくからです。

・病気でいうところの対処療法=起こっている事象にアプローチすること。
・病気でいうところの根本治療=それが起こる引き金となる感情にアプローチすること。

じゃあ根本治療はどうすればいいのか?

病気でイメージするとわかるように、対処療法より根本治療の方が時間がかかります。私自身、遠回りをしたタイプですので、焦る気持ちと辛抱しなきゃいけないという気持ちの葛藤はすごく感じてきました。ですが、ここでは長い説明は控えてまずは取っ掛かりから。

問題が起こったとき、そのことを思うと重い気持ちになると思います。

その気持ちって、たとえるなら、自分の中にいる誰かからのお知らせなんです。さらっと書きましたが、誰の中にも複数の人格がいます。そのうちの一人が、何かを訴えたくてその感情を発しているんです。そのお知らせは、正解かどうかは分かりません。間違っていることも多々、あります。

その、お知らせに気づいて耳を傾けるんです。

ここでは、その感情がどんなお知らせをしようとしているか、それを「知るだけ」でいいです。

その感情を擬人化して、なにを言おうとしているかを、聞こうとする。擬人化されたそいつと、一緒にいる。

無理はしなくていいです。比較的調子がいいときだけでいい。
でも、耳を傾けることからすべてが始まります。

過去に書いたこの記事が参考になるかも。⇒『感情の壁。』

次回は、また別の対処法をお話していきたいと思います。

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