どうしたいかを聞かれるのが怖かった?

「好きなことに熱中して生きていきたい」

そう思った10~20代の頃。私はいざ何かを実行に移すとなると、特に意見もなく、人の期待にだけ応えようとしていたような気がします。あるいは正解を求めて受け身だったり。もしくは威勢だけはいいけど、何もしてないように見える…とか。

まあ、今となっては周りにどう見えてたのか分かりません。憶測でも、思い出せもしない。
で、最後は決まって大人の女性たちに「あなたはどうしたいの?」と聞かれては言葉に詰まり、泣いていたような気がします。
ああ、別にその人達は泣かせようとして言ってないんですよ。ただ聞いていただけです(今でもそれは思い出せるし、理解できます)。なのになぜかその質問 「あなたはどうしたいの?」 だけは、私のココロノキズ的なものにヒットしたのか、固く封印していた問いと答えだったのか。言葉に詰まってどうしようもなくなる思いだけが溢れてくるのでした。

思い出せないなりに、今その時のホンネを憶測するならば…。
きっと、本当の本当は何もしたくない、だとか、本当にやりたいことは今やっていることだ、だとか。そういう程度のことだったんじゃないでしょうか。今の時代でこそ、「ああ実際はそうだったりするよね」という冗談で終わらせられたりしそうですが、当時はタダのワガママでしかなかったのもあって、無意識に「言ってはいけないこと」として終わらせたりしていたんだと思います。

で、実際、こういうタイプの人も多いんじゃないかと。
つまり、やりたいことが「医者」とか「スポーツ選手」とか「花屋さん」とか明快なジャンルや職業で表されるものでは言い表せない人。いっときは何かにたとえられるけど、時間が経つと違和感が湧いてきて、肩書や枠組みごとぶん投げたくなってしまう人。

2年前の下の記事でも同じようなことを語りましたが、

目標がないならば持とうとしない。

今回はとりあえず、現在の心境を思いついたので書きたいと思います。

目標や肩書やジャンル分けがしっくりこないならば、どうするか。そういう場合は、何かをやっているときの心理状態が「こうあったらいいなあ」と思えるものを中心に据える、ということです。「やりたいこと」ではなく、「ありたい状態」をコトバなどで表してみる、ということ。たとえそんなに興味のないジャンルのことをやるときでも、こういう状態を保てれば私は幸せでい続けられる、ってのがあるかもしれません。

私がここ2~3年ほどやってきて、納得いっているのが

毎日毎瞬、今やっていることを味わえる状態であること」。

たとえば皿洗いであってもゲームであっても運動であっても、「今お湯があったかいなあ」「キャラクターの心情が味わい深いなあ」「筋肉を伸ばすときに痛みを感じるなあ」などといちいち味わえるペースでやること。これが私の望む状態であると、確認し続けられてます。

逆に、好きなことであっても、この状態を保てないくらい忙しくてバタバタしていたり、人の要求ベースでやっていると、じわじわと嫌いになっていくことも確認済み。

ちなみに、似たようなペースで暮らしている旦那さんもきっと似たようなもんじゃない?と思って聞いてみました。そしたら「いや俺は違うな。味わうというより、やるべきことはごく短時間で済ませてしまいたいタイプ」。と言われました。たとえ好きなことでもそうなんだとか。そしてできるだけ、1日にいろんな種類のことをやり、それを毎日続けたいのだそうです。

いやあ…、細かく掘り下げると実に様々なバリエーションがあるんでしょうね…きっと。

私自身にも、1日にいろんなことをやりたいという願望はないではないですが、1個のことを味わっていると数時間とかあっという間に経ってしまいます。だから1週間とか1か月スパンとかかけていろんなことをやるタイプ。

こういうことを緻密に発見していって、これからやるべきことがその状態に当てはまるか、当てはまらないかで「やるやらない」を決めていくと、かなりエネルギーは上がっていくんじゃないかと思います。もちろん周囲の期待とか環境によってやれるやれないはあると思いますが、細分化していくと、一部は案外かなえられることも出てきたりします。

たとえば、今年の前半は書類書きや提出仕事が多々あったのです。特段好きでも嫌いでもない無機質寄りの仕事。でもそれを味わうようにやってみたのです。書くプロセスをめちゃめちゃゆっくり確認しながら。提出しに行く道のりも時間をかけて歩いてみたり、お昼ご飯行ってみたい場所を探して道のり自体を楽しんだり。提出する待ち時間も、建物の中やそこにいる人をさりげなく観察してみたり。
そうすると、結果とても思い出深いものになりました。また似たような仕事が出てきても、そういう工夫で楽しめそうな気がします。

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そんなわけで話があちこち飛びましたが、「やりたいこと」そのものが見つかんなかったり、そこにしがみつく根性のない人は、こだわらなくてもいいというお話でした。その分、こだわるのは「それをやるときにどんな心の状態でいたいか」ということ。他の人のいい例が思いつかないんですが、明るくはしゃいでいたいとか、一人っきりでこもって邪魔されたくないとか、いろいろあるんじゃないでしょうか?

冒頭に書いた「あなたはどうしたいの?」という質問。
以前はおそらく聞かれたいけど聞かれるのが怖かった質問。

今なら真正面から「やりたいこと」を答えようとしないでしょうね。
だって明日には、変わっているかもしれないんだもん。

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