人の心を動かしたければ、シゴトだけしててもダメだと気付いた。

たまには、ブログタイトル『あなたの世界の描き方。』にジャストフィットした記事を書いてみよう(笑)。いや、いずれの記事も隠れたテーマはそれなんだけどね。

好きなことをメインに生きていこうと思ったときに、とくに心に響いた言葉がある。それはたしか、

楽しい遊びを見つけ、それにハマリだしたら、
もっともっと遊ぼう。あなたはまだ、
遊び足りない。

こういうニュアンスの言葉だったように記憶している。

キホン、長年面白みのない生真面目人間だった私は、「仕事をどううまくやるか」にばっか、意識がいっていた。遊びたおした上に、もっともっと遊ぶなど意味が分からない思考回路だった。ホントは遊びたいし、別に遊んでなかったワケではない。が、めちゃくそ仕事の成果をあげた上なら、ほんの一部の時間を遊んでもいい、という思考がベースにあった。

ただ、私の理想像であった「遊ぶように働く」となると、その思考回路じゃーできなかった。それは、人の心を動かす必要があるから。そして、いくらマジメで、いわゆる「仕事」の能力が高くても、あなたの心が動いてないと、人の心は動かせない。

逆にいうと、心が動いたら、たとえ気まぐれでも、そっちへ行ってみればいい。ということになる。それが遊びだろうが趣味だろうが仕事だろうが、ホントのホントに気まぐれだろうが、カンケーなく。

遊ぶとなると、時々こういうことを言う人がいる。「趣味をはじめたいんだけど、趣味がなくて」「やろうと思うんだけど、どうしても腰が重くて」
って、それ別に、やりたいことちゃうやーん!と思うんだけど、見事にかつての私だw 「趣味」というのを、おそろしくハードル高く考えている。休みの日に何時間ものめり込んだり、おこづかいの大半を注ぎ込んだり、気づいたら何年も続けていたり、その分野をおそろしく熟知している。みたいな。そういう人もいるが、それはあくまで、結果論。

ハードルが高いその時点で、もう趣味じゃない。ただの義務だ。

だから、もっと軽やかに表現してみたらいいと思う。「もっと遊ぶ」とはつまり、

「心が動いたら、そっちへ行ってみる」ということ。

遊びって、役に立たせるつもりもないし、やったり辞めたりできる。だからこそ、のびのびと心が動かせるんだわ。

子どもが石ころや葉っぱやガラスのカケラなんかのガラクタを拾ってきて集めているのといっしょ。そしてそのちいちゃな集まりがいつの間にか、あなたの描く世界そのものになる。丸い石ころより、なぜか尖ったのを集めたいみたい。顔ほどもある、大きな葉っぱが気に入っている。ガラスのかけらはどこから拾ってきたのか、いつもカラフルなものばかりだ、とかね。
でもそれって、実際に集めてみないと分からない。飽きたら飽きたで、それもあなたの世界の一部だ。

こうやって集めた世界が、不特定多数の人の心を動かすかどうかは、分からない。でも、強く、深く心を動かされる人は少なくともかならず、いるはずだ。

*****

そういえば私も、ハマったものもあれば、ハマリすぎて飽きたものもある。
でもかつて集めたガラクタの山には、今でも愛おしいものがたくさんあるし、ふと戻っていって取り組みたくなるものもある。

私は、レトロなものが好き。
そういえば今はもう捨ててしまったが、かつて、裏地がボロボロに朽ちて
しまった (という表現がピッタリなくらい古い)黒のジャケットがあった。でも表面の生地はなめらかで、ウエストがきれいにシェイプされていて、とても気に入ったデザインだった。おそらく70年代頃のものだろう。とても気に入って、ほんとうに着れないなと思うまで着続けた。

あのジャケットを古着屋から発掘して、はじめて袖を通したときのあのワクワク感のままに、今も毎日を過ごしていきたいなと思う。

ちなみにどうでもいいけど、最近思い出した中でも最もレトロで好きだったものはコレ。小学館ミニレディー百科だ(笑)。

シリーズで読んでたなぁ~。

Photo by Joanna Kosinska on Unsplash



			

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