不快感を歓迎すると、あたらしい道がひらける。

ブログを書いていて、行き詰まったときに「世の中の人はどんな悩みを感じているんだろう」という角度から、ネットを徘徊することがあります。悩み→その解決法というのがネット上にあふれています。そして、その解決法が商売のネタになったりもしています。

例)恋愛をうまくいかせるテクニック
この技術を身に付ければ仕事になる
できるだけ楽してダイエット 等々…。

ただ、これらの解決法を観察していると、「コレ、100万個集めても同じことの繰り返しなんじゃないかなぁ…」と思えるような盲点があるわけです。逆に言うと、その盲点さえ自覚できればもう解決法などいらないのではないか、ということ。

それは何かというと…

「不快感」。

これらの解決法の多くが、不快感から逃れることを目的化しているんですよね。

悩みの解決法がなぜ求められるかというと、今現状が「不快」だからです。

モテない自分
フラれた自分
自身のない自分
能力のない自分
太っている自分
食欲で解消しようとする自分

で、その「不快感」を逃れようとして近道な解決方法を求めるわけですが…。その発想の根本が、どこまでいっても「【逃れる】こと、不快を感じない状態を目指すこと」が解決だと思っている。不快感から逃れよう逃れようとすると…いったん逃れたとしても、また不快感が襲ってきたときに、それに対する別の解決方法を求めなくてはいけなくなります。

何度も同じことの繰り返しなわけです。

そうはいっても、私も「不快感」はイヤです。できれば逃れたい。できれば自分の気持ちを揺らさず、自分の手を汚さず快適になにかを逃れ、なにかを手にいれたい、という気持ちは誰しもにあるんです。

そして、あれやこれやの解決法を試した結果、最終的に行き着く先はたいてい、「不快感」を感じる方法なんですね。

【不快感を感じてでも進むしかない。。。】

ということに気づきます。コレを諦められてはじめて、スパイラルを抜けて先に進めるんです。

さっきの例で言うと

・恋愛をうまくいかせるテクニック
・この技術を身に付ければ仕事になる
・できるだけ楽してダイエット

を↓この方向にする。

・恋愛でフラれたりして、痛み(不快感)を感じる。
・技術が仕事にならなくて、自信を失う(不快感)。
・ イヤな人間関係のストレスから逃れるために食べ過ぎて太っているのだ、と気付く(不快感)。

こんな風に、避けてる不快感を感じる方向に向き直る。むしろそっちの方が早いと思うんです。別にストイック万歳というわけではありません(だいたい私もそこまでストイックではないし)。不快感を感じることがそもそも目的でもありませんしね。

そうではなく、悩んでいる状態=「不快感」が必要以上に大きなものに感じられているだけ、ということに気づけばいいのです。

恋愛がうまくいく方法を探しているときって
・好きな人にバカにされシたらショック大
・フラれたらこの世の終わり
・相手に他に好きな人がいるって地獄

くらいに思ってたりしますよね。いちいち痛みがデカいんです。

(そういえば、学生時代はフラれる度に友達とマックに集って、一日中、泣き言を聞いてもらうという会をやってました(笑)。若かったなぁ…。痛みを分かち合って少しでも和らげたかった。)

でも、その不快感の中にこそ、実は
「人のツラい気持ちが分かる」
「愛されない寂しさが分かる」
っていうような、ホントに恋愛がうまくいくための宝がつまっていたりする。

それを避けて避けて…とやってると永遠に恋愛ってうまくいかないですよね。

*****

一度じっくり「不快感」を味わってみれば「不快感」はただの感覚であって、それ以上でも以下でもない。実際の出来事とは関係ない、ということがだんだんと分かってくるはずです。
人によって、引き金となった出来事によって、その見え方は全然違うでしょうけど。

自分にとって、その不快感の根本何なのか?を知ることが大事だと思うんです。

Photo by Joshua Rawson-Harris on Unsplash

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