センスをみがくには…。自分のセンスを徹底して優先してみる。

特定の能力をさらりと発揮していたり、理論を飛び越えて感覚でうごけている人を見ると、「センスよくっていいなあぁ…!」ってあこがれます。自分もマネしたくなります。

 

たとえば、私はスパイスカレーをつくるのが大好きです。たまーにですが、美味しいカレーのお店に食べにいくと、「おおお、これがつくれたらなんて素敵なんだろう!」という美味しく、見た目も美しいカレーに出逢います。でもにわかには、それが何でそうなっているのかは分かりません。私は料理人として生きたことはないので、ひとつにはスキルや経験値のおっそろしいくらいの違いがあるでしょう。

かといって、ずっと料理人として生きてきた人でも、かならずしも美味しいものを日々作っているとも限りませんよね。その美味しいカレーの作り手さんが一生をカレー、もしくは料理に賭けてきた人とも限りません。センスの良しあしってあるんですよね。そこで、「ちっきしょう!やっぱりセンスがいい人にはかなわんぜ」と表面的には思うのですが…。

ここで一考。

そもそもスパイスやカレーってインド発祥のものですよね。思えば数千年の歴史からできあがってきたもののセンスって、どれほど巨大なものだろう。たとえ現地のインド人でも、その奥深い歴史をにわかに学んだり、再現はできないでしょう。日本人においては、学び、実践し、経験を積みまくらないとそもそもそのすべてを分かりっこない!ってなものを目の前にしていたことに気づくわけです。

ひとりの人間では、とうてい極めつくすことなんてできない。だから「センスってものが欲しいな」って思っちゃうんだ。

そういう意味では、どういうジャンルにおいても「センスをみがく」っていかにも深すぎて、お手上げ状態に見えます。でも、短い一生の間になんらかの「センス」を磨き、自分のものとして昇華しきっている人っていますよね。いったいなにが違うのでしょうか。

 

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「センス」としか言いようのないもの。今現在のその人、その能力だけを見ていると、そいつは最初から持っていたり、突然その感覚に目覚めたんじゃないか?と思えますが…。そういう人を見ていると、やっぱり水面下で積み重ねたものはあるわけです。

努力?知識?何度も同じことやってるから?続けてるから?

それもあるにはあるんですが、それだけでは、その人ならではのオリジナルなものは開花しないと思います。センスをみがくのにもっと大事なこと、それは…

■自分のセンスを誰よりも優先してみること。

だと、私は思っています。

今の自分自身のセンスは、感性は、それほどでもないかもしれません。むしろダサダサかもしれません。眠っていたり、さびついていたり、ぼやけているかもしれません。それでも、少しでも「コレいい感じなんじゃないか?」という心のひらめきがあったとしたら。それをとりあえず「いい感じ」だということにしてみるんです。人が笑おうと。間違いだと正されようと。

たとえば料理ならば、自分自身が美味しいと思ったならそれを信頼してその道を進んでみる。ファッションならば、自分がカッコいいと思ったものをますます追究してスタイルにまで昇華する。文章ならば自分自身がうなるほど納得することだけを、書き続けてみる。

 

「コレって美味しいんじゃね?」「コレってカッコよくね?」「コレって心地よくね?」と思ったら繰り返しそれに従って再現してみる。その感覚をひたすら「よし」として、それを起点にして、よりよいものに磨いてみる。こういう道でしか、センスって開かれないんじゃないかと思うんです。そのほかのものは、全部「知識」「スキル」に過ぎない気がしていて。

先生とか先人には、もしかしたら違うことを学んだりしているかもしれません。ひょっとすると数千年の歴史に学んである程度の結論の出ていることなのかもしれません。数億人に共通と思われる正解があるのかもしれません。それはそれでいいのです。が、それはとりあえず、はじっこにおいといて(笑)。

その、今はダサダサな、自分のひらめきを信頼してみるんです。これを繰り返し開拓していくことでしか、自分のセンスってみがかれていかないと思う。

地球上に70億人いるうちのたった1人。ちっぽけなものです。優先する理由などないじゃないかと、思えばいくらでも思えます。

ですが、それと同じく、自分とまったく同じセンスの人は1人といないというのも面白いところ。だから自分がそれを優先せずに誰が見つけて、育ててくれるのだろう。私はそう思うことにしています。でなければ誰かファッションリーダーにならって同じ格好をして、同じライフスタイルを目指しているかもしれません。たぶん、タイクツすぎてムリだろうな。

 

ただそこで、自分の今のセンスを「よし」として優先しつつも、さらに自分の満足度を高めていくことは大事。だって最初は、ダサダサなんじゃないか?と思っていたものを「よし」としているだけですから。まずは自分の納得度を高めるんです。

参考⇒「狭く、けれども深く」。内向的な人は、小手先で広げたりしなくてもいいんじゃないかと思う。

ただ、いちばん最初の起点がちがうだけ。それだけで、おそらく他者のセンスから学ぶことすら、飛躍的に役に立ち始めるのではないかと思います。

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