「狭く、けれども深く」。内向的な人は、小手先で広げたりしなくてもいいんじゃないかと思う。

昨夜、この1年の自分の変化について旦那くんと話していました。

どうも、去年までの自分の思考回路だと行動がともなわない。フィットしない。私は次の段階に行きたがっていると感じていたからです。ただ、フィットしない⇒だから文章にも書かないとなっていて。その変化が結局なんだったのかを、言葉でもって知りたかった。

 

そこで出てきたのが、「狭く、けれども深く」というコトバ。

私はそもそも、不特定多数の人と、広く人間関係をつないでいけるタイプではありません。100人集まるBBQパーティでウェーイ♪とは思えない。というか限られた数人の人ですら、続けるとなるとあやしい。つなごうとするよりは気づいたらそこにいただけ、という感じがベストフィットなのです。

ですが社会に出てこのかた、ずっとずっと、「広げる努力」「つなぎ、続ける」努力をしてきました。
仕事の成果を出したり、日常を円滑に楽しむには、なんだかんだそれ=数が最善と思ってきた。人数や期間、ですね。そしてトレーニングすればその「広げる」「続ける」能力は開拓されると信じてきたんですね。

ええ、ある程度は開拓されました。ある程度は。

でもそれ自体が自分の喜びではないと、心底気づいてしまったんです。なぜなら、「広げようとして」広げたものは続かなかったから。ある程度までは能力で越えられても、あるときパツンと停電したように無理になってしまうのです。一度ではなく、それこそ何度も繰り返してきました。

 

そこから気づかねばならなかったことは、つまり。

 

私は「深く」を追究することが大好きなんです。

やっていることにギモンや好奇心が出てきたら、次々と解明していかないと気がすまない。周囲はそっちのけで、どころか時間も、我も忘れてとことんハマる。特定の「誰か」と「何か」をする、というよりも、その「追究そのもの」と遊んでいる感覚がたまらないのです。
目指す場所すら、あるわけではありません。時間を越えたその場所が本当にここちよくてたまらない。というだけ。

そして、その追究が一定ラインを越えたら、どこからともなくその匂いは嗅ぎ付けられるのか、似たような人とのつながりが自然と生まれてくる。そういう匂いを共有した人とは、ひとたび口を開くと話が止まらなくなることすらある。仕事やご縁やお金といったものを運んできてくれる。私はなにも、「広げる」ことを意図してたわけじゃないのに。
そういうサイクルをずっと過ごしてきました。

 

ただ、意図的に「広げる」「続ける」をやっていたときには、その領域にぞんぶんに浸りきれなかったんです。どこか、やらなきゃいけないことに追われているようなもどかしさがあった。これをやりきったらきっといつか、浸りきっていいんだ。そんな錯覚。

不思議なことに、そういうときには広げようと思ったものが大して広がらないんですよね。

 

もしあなたがこうやってブログを書いたことがあるなら。
きっと一度はこういう考えに触れたことがあるでしょう。「せっかく書いても、多くの人に読まれないと意味ないよ」と。ですが最初にこの「広げる」を意図することには、向き不向きがあると思っています。
まずは「深める」をやりたい人っているんですよ。どこまでもどこまでも。それこそそういう人って、誰一人にだって伝わらなくたって構わない。ただひたすら自分を掘り下げていける、この至福に浸れるのなら、って。

私はどちらかというとこういうタイプの人間で、「深める」もある一定ラインまでやると「広がる」が始まっていくことを体感してきた方です。だから、いち個人の範囲内ではきっと、どちらを先にやってもいいんじゃないかと思っています。まあさすがに、「深めているつもりが転々と居場所を変えてるだけ」みたいなのには気づく必要がありますが。

 

冒頭に書いた「狭く、けれども深く」の「狭く」って、この世界で誰はさておき、「自分」を心底納得させていく。という意味合いだと思っています。けっして狭い人間関係や組織の中で終わってもいいよということじゃなく。

いやむしろ、とことん自分を納得させていった人の影響範囲は、かぎりなく広くなっていくと思っています。地域を越え、国を越えて世界中にまで。それこそ、同じ深さを共有した人とは切っても切れない関係性にすらなるかもしれません。広がり方がちがうのです。近所の誰一人として自分には振り向いてくれなくっても、なんとかランキングやチャートにはなにひとつ載らなくても、地球の裏の誰かを目覚めさせる可能性はじゅうぶんにある、っていう、そういう意味合いです。

 

 

別に狭い何かの専門家になる必要もないと思っています。専門領域って、世の中が便宜上決めたものに過ぎないから。自分のギモンをつきつめたら、便宜上の「ジャンル」や「職域」みたいなものって軽々と越えてしまうと思うので。そうやってるとその時点で、おのずとと唯一無二の人間になっているはずですから。

 

つきつめるのは自己納得。そして目指したい理想。
つまりは自分がサイコーに心地いい領域。

 

その糸口だけでも見つけることができれば、だんだんと芋づる式に自分の探究したいことが見つかっていきます。少なくとも私は、大勢のいるパーティでウェーイする時間があったらそちらに向かいたいタイプだ。っていうことが言いたいわけですね。

 

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