伝わるのは、言葉の中身じゃない。

営業職時代に上司から言われたことで、今の生き方にも通ずることがひとつあります。それは、

◆電話の向こうにいるお客さんに伝わるのは、電話線を通じてとどく「言葉」じゃないんだよ。

ということ。

当時の会社では、毎日200件ほど個人宅に対面アポイントの電話をかけていました。もう突然ですよ。今考えたらむちゃくちゃだし、よくやってたなと思います。それこそmixiなんかも流行ってしまってた時代。普通は電話営業など聞きません…よね。即切られます。

※ちなみに関係ないですが、今の若者はスマホについている受話器アイコンのカタチが何を指すか分からないそうですね。恐ろしい時代の進歩です(笑)。

そんな切られまくりの電話ですが、ある瞬間にグッと、お客さんが聞く耳を持ってくださる瞬間があるんです。そういう時、どうにかこうにか言葉でねじ伏せたのかと思ってました。が、

◆電話の向こうにいるお客さんに伝わるのは、電話線を通じてとどく「言葉」じゃないんだよ。

だったんです。

電話線を伝わないのに、アタマで考えていることや心で思っていることがダイレクトに伝わる。心配や恐怖ならそれが、情熱や思いやりならそれが伝わる。

 

そして相手が受話器を取った瞬間、「あ、この方になら本気でお役に立てるかもしれない」という空気が双方に伝わったときに、普通なら切ってしまうはずの電話に真剣に耳を傾けていた…ということが起こるようです。

当時は「本当にそんなことがあるんだ、不思議だなぁ…!」と思ってましたが、体感が重なると不思議でもなんでもないことに気づきました。

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実際に、ブログをはじめてからもそういうことが多々起こりましたしね。

言葉でねじ伏せよう、説得しようとしてたときは何も伝わらず。体裁をおいて心の底から、そして相手への創造力と温かみをもって伝えたときには、反響がある。

そして、その時反応したお相手は、かならずと言っていいほど自分の状況をキレイに反映した方です。状況やお悩みの質が似ているんですよね。

先ほどの営業職時代の例で言うと、自分がものすごく情熱的なときは夢のある方、ローテンションの時は、話しかけてもリアクションの少ない方がお客さんになったのでした。

 

これがつまり、

◆言葉よりも在り方が伝わる。

ということの正体だと思います。

 

ここで問題。

どんな人にも、在り方がポジティブな時とネガティブな時があると思うんです。自分が望まない状態で自分が伝わったらどうしよう?ってのありますよね。そこで以前、Facebookに投稿したものを紹介してみます。

発信のエネルギーが突き抜けるポイントって何かな?

って旦那くんと話してたら、見つけた!
シンプルで、自分の【LOVE】をむちゃくちゃ発信するコト。

【LOVE】、つまり愛することなら、誰かを傷つけたり足をひっぱることなんてないから好きなだけやればいい。
そして、好きって、ひとりや内輪で勝手にやれること、やりたいこと(というかやっちゃう)。好きって自己完結だから、誰から反応があろうとなかろうと関係ない。ひとり祭りに酔うような感じ。

【HATE】、つまりキライなことや○○反対!というメッセージならば誰かの反感を買うことを受け入れないといけない。よほどタフか鈍感か、使命感がなければ、HATEに集まるHATEエネルギーを乗り越えきれないんじゃないかな。覚悟は褒められる場合もあるけど、両者ともに、痛みを伴いすぎるのよね。

【HATE】は、嫌う相手次第の発信スケールになっちゃう。
だけど、【LOVE】は自分勝手だからどこまでも突き抜けられる。無限大で天井がない。

私なら、LOVEの発信を読みたいしね。
先日シェアした、青好きの人みたいな姿勢もいいね。

そう思うと、わたしは自分のLOVEをどこまで表現できていただろう?まだまだ恥ずかしいと、遠慮してたんじゃないかな。もっと勝手に出しまくってこう!

※青好きの人とは?参考…好きなことを仕事にするのではなく好きなことが仕事になるという考え方。青好きを続けられるワケ

HATEの投稿をゼロにしよう、ということではないんですよね。先ほどお伝えしたように、誰しもにポジティブとネガティブの要素はありますから。

ただ、自分の周りをLOVEで満たすと、状況は変わります。LOVE状態の人やそのように接してくれる人が増えていき、HATEの投稿をする必要が少なくなっていくのは確かです。
自分の接したい相手をイメージして、その人と接した心境に近い発信を自分も心がけること。それによって、自分が見える世界そのものを変化させることができます。これだけは私がずっと決めていることです。

 

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