「幸せのきじゅん」を自分の内側に求めてみる。

 

最近、ほんとに1日1イベントあるかないか、くらいのスローペースで過ごしていて。昨日ふとこのブログのタイトルを「のんびりライフ」(ありがち…笑)とかに変えたほうがいいんじゃないか、くらいに思いました。

ただ、私は小学生くらいまではほんとのんびりさんだったんです。元に戻っただけ。小学校時代は、給食の時間のあとすぐ掃除でした。食べるのも遅かった私。私はまだ食べているのにホウキ持ち出す子とかいて、あやうくほこりまみれになりそうな中で、泣きそうになりながら、モグモグやってました。

 

その一方で、時間の有り余る放課後には、紙をくさるほど使って絵を描いて、雑誌編集やマンガ連載のまねごとをやってました。ほんと今思えば、次々に作品作ってたな。

 

世間では、もっと速くやってくれないかな、って言われることが多かった。

それじゃ、社会でやっていけないな、と思い直して。無駄なことは一切しない、効率を求めた生き方(のつもり)にシフトしたわけですが…。そこに基準を合わせて、どんどん急いだところで、行き着く先に何もないってことに気づいたんです。

やっぱり最後は、自然体に戻るわけですね。スピードを落として、味わうように生きるだけで、血の通った感覚を思い出すことができました。

 

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時々見直したいのは、誰か身近な人の「幸せのきじゅん」を、自分の幸せの基準に当てはめて苦しくなっていないか、ということです。

仕事の優先順位が高い人が、結婚生活の順位が高い人に合わせてしまうと、「自分は結婚してないどころか、彼氏もいない」と、苦しくなる。

ぼーっとするゆとりの時間が一番大事な人が「私は全然お金が稼げていない」と、働く時間を増やして苦しくなる。

子育てと家事の優先順位が高い人が「私は身なりに構ってる余裕がなくて、女子力だいじょうぶかしら」と、生活スタイルに合わないのに、心ばかり焦ってしまう。

そういう風に、自分の「幸せのきじゅん」を誰かに知らず知らずに合わせ過ぎていないかを、時々チェックする必要があると思います。

この合わせている相手が、大切な人や大好きな人、身近な家族だったりすると、気づきにくいのですが。身近な人とはいえ、価値観は人それぞれ違います。

「ま、これくらいどっちでもいいか」ってことでも、自分が一番大切にしているものに直結してる場合もありますので、合わせられなくて当然。

 

だからといってすぐに変えなくてもいいので、まずは意思表示をしてみるといいと思います。

「私は、今これを一番大切に考えているの」と。

そして徐々に、本当にそれを大切にする行動を取り始める。表して初めて、わかることって多々あります。

案外、相手もそれほど合わせて欲しいとは思っていないかもしれません。自分が合わせないといけない、と思い込んでいただけかもしれません。ほんっと、残念なほど気にされてないことって多々ある!(笑)

もしくは「アナタの幸せのカタチの方がいいなあ」って相手から羨ましがられてることすら、あったりして。

やってみないと、分からないことだらけ。

本当に選びたい「幸せのきじゅん」を選んだとき、誰かの顔色が気にならないでしょうか。今浮かんだ顔、その人です。誰かに遠慮したり、背いている感覚が湧いてきませんか。

 

私自身は、その「きじゅん」を持っているのがある一定の場だということに気づいたので、そこを離れ、のんびりとしてても過ごせる場にシフトしました。

まずは、自分自身の「幸せのきじゅん」を大事にして、それに合った選択をする勇気を持ってみましょう。相手へのお返し等は、自分が幸せになったら、後ででも充分できるんじゃないかと、思います。

 

rewrite of 2014/2/1

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