「人を見返す」という概念が抜け落ちた理由。

どこかのブログで紹介されてたYouTubeを見ると、映画のサントラみたいな動画がありました。

その映画は50年代くらいのアメリカといった、どこかレトロな空気を醸し出していました。英語だったのでサラッと観た印象ですが、サントラ中に映画のシーンが流れるんですよね。その映画はおそらく「イジメられっこがスターになって、イジメっこを見返す」みたいなストーリー。

 

それを観たとき、ふと懐かしさを感じました。

「この『見返す』って文脈、今の私の中からほとんど抜け落ちてるわ」って。おそらくそれが抜けたのは、もう数年も前なんでしょうけど…。

 

思えば私は、イジメられた経験は少なく、いちばん明確に避けられていたのは社会人最初の会社くらい。子供の頃は、ちょっと仲間はずれにしたりされたりはあったものの、深刻ないじめというほどじゃなかったです。少しの経験とはいえ、それはそれはイヤだったけどね…。

 

ただ、なんとなーく性格が地味だったからか、「見返したい」欲はありました。長らく「自分よりイケてる人と、自分をバカにした人を見返したい」みたいなモチベーションで生きてたことを思い出します。

※イケてる人が入るのはなんでかっていうと、そういう人が近くに存在したら自分が勝手に劣等感とミジメさを感じてたから(笑)。被害妄想もいいところやん。

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そして、映画とかアニメとかでも、そういう文脈のものが昔はたくさんあったような気がします。ドラえもんとか、そういう部分ありますよね。ネバーエンディングストーリーも、バスチアンが大きな龍のファルコンに乗ってイジメられっこを撃退するシーンありますし。

 

でもね、イジメられっこを見返せる状態ってどんなんでしょ。

その子よりイケメンな彼氏を捕まえる?そいつよりキレイになってチヤホヤされる?その人より金持ちになる?腕っぷし強くなって殴りまくる?めっさ勉強してアタマよくなって、グウの音も出ないくらいに論破してやる?

まあなんでもいいし、ファンタジーの世界ならそれはそれでスカッと気持ちいいイメージ湧くかもしれません。そういうストーリー、嫌いじゃないわ(笑)。

 

ただ、実際の人生でそれを目指すのって、砂を噛むような努力だな、ってどっかで気づいたのかもしれません。だって、

◆相手を見返せるような状況 = 自分の望んだ状況

とは限らないから。というかほとんどの場合、そうじゃないんじゃないかと。

 

いかに自分的には「イケメンでリッチ」な彼氏を捕まえたところで(←捕まえるってw)、相手がその人に興味ないかもしれません。相手が羨むような彼氏だったところで、自分には相性がよくないかもしれません。

てか、この文脈自体が、彼氏さんの意思が置き去りすぎで可哀そうなんだけど(笑)。

 

なにも見返さなくったって、それぞれが自分の望む状態を勝手に叶えればいいだけですよね。

 

***

 

こうやって冷静に考えると、「見返す」ってお互い全然違うフィールドで殴り合ってるみたいで不毛だなぁ…。と思えるんですが…。

そういう文脈が今も、流れている場はおそらく多々あるんですよね。どっちが上か、どっちが勝ちか、みたいなモチベーションで頑張っている人もたくさんいるんだろうと思う。下手したらこれまでの社会全体がそういうことを根底に動いてたかもしれません。そして、ひとたびそこに身を置くと、私もまた「見返す見返さない」で動揺するかもしんないです。

そういう場が合わないと分かったので、今身を置いてないし、周りにそういうタイプの人がいないので、「見返す」という必要がまったくないわけです。だからその文脈が私の中からすっぽり、抜けてしまったようなのです。

 

 

で、こないだこういう記事を書いたんですが…。

⇒ 安易に同意しない。“自分のフィールド”を作るトレーニングを5つ、紹介します。

自分の思考や行動って、フィールドをつくった人の文脈に、思った以上に影響されます。

誰もそう言ってなかったとしても、ここでは空気読まなきゃいけない、と感じたりとか、誰それを立てなきゃいけない、とか不文律みたいなのを感じることってありますよね。なにも窮屈なことだけじゃなく、自由な空気を感じるのも同じ理由から。

その場をつくった人が何かを当たり前に感じていればいるほど、その感じが人に影響を与えるんですね。

子供の頃から、この「空気」のことを、目に見えないな物質なり成分が空中に存在してるのかな?みたいに感じてました。「空気」がないとこってないのかな、ってずっとそういう場所をどこかに探し続けてました。私が「見返す・見返さない」が当たり前のフィールドにいたとき、それは窮屈だけどその場では仕方ないと思ってたんですよね。

 

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ただ、大人になったら選ぶことができます。

それは、フィールドを「選ぶ」ことと「作る」こと。

私がこうやってブログを書くのは、自分のフィールドをつくりたいと思ったから。いち人間なので、完全に無味無臭の空気であることはできませんし、器なりのフィールドに過ぎないのですが、少なくとも自分や自分と似た人が居心地よく過ごせる空気を私は作ることができます。

また、自分がフィールドを作れるようになると、気分に応じて好きな「空気」を醸し出すフィールドに足を運びやすくもなります。

フィールドを変えることで、今まで絶対なくならないと感じていた悩みがすっぽりなくなることもあります。特定のルールにまったく縛られなくなったり、新しいアイデアが当然のように湧いてきたり。

「空気」は目に見えないからこそ、無意識に影響するんですよね。

自分の考え方を無理やり変えようとする必要はなくて、フィールドを変えるだけでも自分の思考回路や行動は変わります。最初は違和感があるかもしれませんが、慣れればいいだけ。

 

ただ、人のつくったフィールドは、人の人生を基盤として作られているので、四六時中すべての「空気」が合うかどうかは分かりません。だからやはりおススメなのは、自分でフィールドを作り、お互いの場を行き来することだと私は思ってます。

 

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あなたのフィールドの色を決める。

⇒ ◆世界観プロデュース◆

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