価値観が変われば、美学も見直せばいい。

前回、食事についての記事を書きました。

⇒ 味覚が感性を開く。自分の「美味しい」に正直になろう。

 

このブログのテーマ、【自分美学】というと、何か揺るがぬ不動のものという印象を与えるかもしれませんが。今の私は、かなり頻繁に価値観が変わります。価値観といっても「人生観」といえるような普遍的なものは変わりませんが、日常の過ごし方、趣味や興味、仕事観や人の好みなどはかなり頻繁に変わります。

別に、変わろうとして変わっているわけでも、ない。いろいろな変化を受け入れてきた結果、最終的に、根っこに流れるものが意外に変わらなかったなぁ…くらいなもんです。

つまり、トータルで見ると私の中では「変化に抵抗しない」ということが美学の一つなんですよね。

 

正直、3年前の自分がこういう食についての記事を書こうとは思っていなかったです。めちゃめちゃ優先順位低かったから。

もっと言うと、5年前は、寝る間も、食事する間も惜しんで月~金昼間働き、週末は昼間に勉強して、深夜バイトした後は200円のまかない弁当を食べ(笑)。恋愛する時間も惜しんで自己価値を高めようと動きまくってましたから(笑)。

「美味いもんを食べるのは十分に働いてからだ!」という価値観。自炊はいつも玉ねぎ、にんじん、ほうれん草。それはそれで、そうしたかったんだからいいんじゃないかと思います。若かったしね。

 

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私の中で食の重要度が上がったのは、今の旦那と出会った3年半前。といってもそのころはまだまだ、外食でいいもん食べる、くらいの重要度でした。問題は料理です。

料理なんてどうもダルいばっかりでやりたくなかったです。主婦にも絶対なりたくない!くらい嫌いな職業ナンバー1だったし。ところが…半年前、そこには子供の頃からの深い思い込みがあるということが分かって、マイナスな感情を昇華しました。詳しくは省きますが…。

すると、どんどんと料理にやる気が湧いてきたんです。自分じゃないかのように。

 

旦那と入籍したのは4か月前。そこからはまた更に、まったく違った生活が待っていました。それまで独身の時には想像できなかったくらいに、毎日グダグダしたり、好きなところに行ったり、自由に過ごさせてくれたんですよね。

そうすると、それまでこだわっていた世界がウソのように、日々昇華されていきました。

それまで優先順位で上だったものが取るに足らない、どちらでもいいものになりました。たとえば、少しでも人より重要人物に思われたい、とか。数多くの視線を集めたい、とか。誰かにステータスを示したい、とか。多くの人と繋がっていたい、とか。こういうことを基準に何かをすることがグッと減りました。

たとえるなら大事に、丁重には扱われたいけど、尊敬や注目まではいいかな、という塩梅です。ニュアンス伝わるかなぁ…。

そういうことをしている人がいいとかダメとかじゃなく、興味がなくなったんですよね。それくらいひっくり返った。

 

***

 

そんな感じで、自分では「確固たる美学」と思っていても、人生の流れの中で脆くも変わることなんていくらでもあります。変わってもいい、時には根っこから構築し直そう、と思ってた方がいいくらい。そんなわけで私の価値観は、常にスクラップ&ビルドなんですよね。

ただ、振り返ってみると何かしら一貫したものが見えてくるんですよね。美学ってそういうものかもしれない。

 

ちなみに「女も自立してナンボ」、という価値観が私にはあります。

ただ、以前にはそれは、目に見えて分かりやすい「経済的自立」のことを指していました。今思えば、その価値観は誰かからの受け売りに過ぎないのですが、それでも私にとっては、経済的自立のない人生は死んでもあり得ないほどだった。

で、今はというと…「経済的に」はどっちでもいいと思ってます。どのみち、お金って誰かから貰うものだしさ(笑)。公務員なら国から、会社にいたら会社から貰い、事業主ならお客様から貰い、ニートなら親から、主婦なら旦那から貰う、などの違いがあるだけ。

やってみて、どれでもいいかーと思いました。絶対揺らがないと思ってたものですが(笑)そんなもん。ただ、この概念が崩壊するときにはかなり抵抗しましたが。

 

ただ、思想的なものは自立していないと、接するのはしんどいなと、今でも思っていて。これはおのずと一貫しているものかもしれません。

誰かが言ったから私もこうする、っていつも言ってるとか、「有名な誰々もこう言ってたし」、というのが主張のメインになってる、とか。本人はそれでよいなら良いんですが、私はそういう人に魅力を感じられないから、接することはできないでしょうな。

 

私の身近には、1か月単位で根こそぎ生まれ変わるかのように刷新される人が何人かいます。でも、やっぱり見ていくとあくまでその人なんです。

そう思うと、変化ってらせん階段のように、これまでもひっくるめた上で熟し、視点が上がっていくことなのかもしれません。

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