「これまでの私」を塗り替える方法。

前回の記事で、私がこれまでに感じてきたことを書きました。一部だけを切り抜いて、ものすごくざっくりとですけど。

こういったブログを書くときは、時折「これまでの私」ということで振り返ったりします。自己紹介にもなるし、自分自身の整理にもなる。

でもときに、この振り返りの習慣が足を引っ張ってたな、と想うこともあります。

 

過去の自分について「これまでこうだった」「こんなことができた」「これはできなかった」と何度も言い続けていると、いつしかそれが自分像のウェイトを占めてくることがあります。自己暗示になるんですよね。

これまでこうだった、というのが、自分に対して動かぬ証拠のようになってくる。

こうだったから、これからもこうなんじゃないか、という予想まで出てくる。

困ったことに、歳を重ね、経験豊富になればなるほど、この思い込みが強固になってきます。

 

でも、実際には過去の自分に起きたことと同じことが、これからも起こるとは限りませんよね。良くも悪くも。それはただの記憶であり、未来は違うかもしれないんです。

 

…と、知識では分かっていても、ついつい「これまでの私」をもとに、未来の自分を描いてしまうってことはないでしょうか。年齢を重ねると、余計にそう。

可能性のある若い時にすらこの程度だったんだから、今から努力しても所詮ハチがけよね。とかね。それについては、まだ何にもトライしてもいないのに。

私はほんと、それにどっぷりだったんです。たとえば、これまでに料理をしても大して美味しいものが創れなかったし、興味もそこそこだったから、きっと明日も来年もそうよね、と。そうして、変わりばえのしない次の年を過ごす。

私自身が自分の美意識に疑いを持てなかったのも、それがひとつの理由だと思います。

でも実際には何が起こるか分かりません。「私なんてこれまでこんなもん」というのは、過去の自分がインプットしてきたプログラムに過ぎない。そしてそれをもとにどこまで行動するかを自分で決めてしまってるんですよね。無意識のうちに。

で、こうやってブログとかに繰り返し書こうもんなら、余計にそれが沁みついてしまいます(笑)。私はやっぱりそういう人間なんだと。考えたことをあたかも、何度も経験したかのように、しかもだんだんとオーバーな記憶になって上書き保存される。

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私にとっては、料理と運動と掃除がその最たるものでした。

料理=苦手

運動=嫌い

掃除=だるい

なんと、これをインプットしたのは思えば小学生の頃。人生の可能性なんてまだ1ミリすら見ていないくらいの年代です。

それくらいのモチベーションをベースに、美意識だけ高めようとしたって無理ってもんでした。

料理=苦手だから半分はラーメンでいいや

運動=嫌いだから太ったら諦めよう

掃除=だるいけど人に見られなければいいや

それを、自分は知ってるんですよね。24時間自分に付き合っているわけだから。そうすると、表面でいくら「センスの良い人」と思おうとしても、水面下でなんとなく自信がないわけです。どっか、だるい生き方をしていることを心の片隅に置きながら、人にそれを伝えることはできないわけです。

上記のような苦手・だるい・嫌いをベースにしてても、納得できてればいいんですよね。自分ってこうだし、アハハみたいな。もしくはそんな自分もお茶目で好きだな、とか。正直に自分に問いかけてみて、それが思えるかどうかです。「いいじゃん、掃除嫌いでも大成した人いるんだから」とか、人に慰められてじゃなくね。

 

そんなんじゃやっぱり納得できない…。私はそう思って。なのであれば、自分のできる範囲でいいから、1ミリでもいいから、自分の思う「自信のある状態」に近づこうとしてみる。これを、あらためて今年に入ってからはじめました。

過去の自分を基準にするんじゃなくて、未来にどうなっていたいかを基準に今動く。地味で、どうってことない作業。今日やったからといって何かが劇的に変わるわけじゃありません。でもやる。やる方を選択する。この繰り返し。

相変わらず、料理や運動、掃除にまつわる「できること」は少ないままです。言うならば、

料理=時々好き

運動=やろうと思えばできる

掃除=運動ができたら掃除もやる気が湧く

くらいにはなった。でも以前と違うのは、できることがどうせ「少ないから全くやらない」じゃなく、できることが「少なかろうがやる」ってこと。

 

そうすると…だんだんと、過去に過ごしてきた自分の限界というのが霞んで見えてきました。強固に手を結んで、「先に行かせてたまるか!」と鎖を張っていた過去が、徐々に緩んで、すり抜けられるようになってきた。

テコでも動かなかった自分だから、ほんの少し動けただけですごい達成感が湧くんですよね。自分にもできるんだ、とちょっとした誇らしさも湧いてくる。

 

そうするうにち見えてきました。

いかにこれまで、苦手・だるい・嫌いの三兄弟を避けるためだけに生きていたのか。

そして、その三兄弟を避けるために、もっとやりたいことをギセイにしてきたのか。

外堀を埋めても、内側が埋まらなかったのはなぜなのか。

 

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ほんとに、ほんとうに地味なので忘れられがちなんですが、去年と同じ来年を過ごしたくなければ、これは必須です。

◆できることだけでいいから、過去を塗り替えるように今を動くこと。

 

別に優れてなくていいから、やる。こっから、【自分美学】が生まれます。人がどうあろうと揺るがなくなるし、自分のイタイところや悪い面を見ても、自信がアップダウンしなくなる。

誰に見られてなくてもやるんです。というか、誰よりも自分が見ている、ってことが何よりも大事。

そういうことが、最近ようやく心から分かるようになってきました。

 

 

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